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札幌地方裁判所 昭和62年(ワ)1102号 判決

主文

一  原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告ら

(一)  被告東京海上火災保険株式会社は、原告甲野春子に対して二五〇〇万円、原告甲野夏子、同乙田一郎及び同乙田二郎に対し各八三三万円及びこれらに対する昭和六一年九月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

(二)  被告住友海上火災保険株式会社は、原告甲野春子に対し三七五〇万円、原告甲野夏子、同乙田一郎及び同乙田二郎に対し各一二五〇万円及びこれらに対する昭和六〇年九月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は、被告らの負担とする。

(四)  仮執行の宣言

2  被告ら

主文同旨

二  当事者の主張

1  原告らの請求原因

(一)  保険契約の締結

(1) 日本航空株式会社及びJALカード株式会社は、昭和五九年一一月一日、被告東京海上火災保険株式会社(以下「被告東京海上」という。)との間で、JALカード会員のためにする以下の内容の海外旅行傷害保険契約を締結した。

(イ) 被保険者 JALカード会員

(ロ) 死亡保険金額 五〇〇〇万円

(ハ) 保険事故 被保険者が海外旅行目的をもって住居を出発してから帰着するまでの旅行行程中に急激かつ外来の事故によって身体に被った傷害

(2) 甲野太郎(以下「太郎」という。)は、昭和六〇年七月一八日、被告住友海上火災保険株式会社(以下「被告住友海上」という。)との間で、以下の内容の海外旅行傷害保険契約を締結した。

(イ) 被保険者 太郎

(ロ) 死亡保険金額 七五〇〇万円

(ハ) 保険事故 被保険者が海外旅行目的をもって住居を出発してから帰着するまでの旅行行程中に急激かつ外来の事故によって身体に被った傷害

(3) 被告東京海上及び被告住友海上は、海外旅行傷害保険普通保険約款を定めており、各約款においては、死亡保険金の受取人につき、死亡保険金受取人の指定のないときは、被保険者の法定相続人とする旨の定めがある。

右定めによれば、死亡保険金は、相続財産ではないが、法定相続人が複数いる場合、法定相続分の割合に応じて分割すべきである。

(二)  保険事故の発生

太郎は、昭和六〇年一〇月二一日までJALカード会員資格を有していたところ、同年七月二一日日本国を出国し、同日からフィリピン国マニラ市に滞在中、同月二五日午前六時三〇分ころ、同市マラチ地区ドクターバスケス通り路上で、銃撃されて死亡した(以下「本件事故」という。)。

(三)  保険金請求権の取得

(1) 原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は太郎の妻、同甲野夏子は原告春子と太郎との間に出生した太郎の長女、同乙田一郎及び同乙田二郎は太郎の先妻乙田花子と太郎との間に出生した太郎の長男と次男である。

そこで、被告東京海上との間の保険契約に基づく死亡保険金五〇〇〇万円について、同被告に対し、原告春子は二五〇〇万円、原告甲野夏子、同乙田一郎及び同乙田二郎は各八三三万円の保険金請求権を取得した。また、被告住友海上との間の保険契約に基づく死亡保険金七五〇〇万円について、同被告に対し、原告春子は三七五〇万円、原告甲野夏子、同乙田一郎及び同乙田二郎は各一二五〇万円の保険金請求権を取得した。

(2) 原告らは、昭和六一年八月二八日ころ、以上のように保険金請求権を取得したとして被告らに対し保険金請求の手続きをした。

(四)  結論

原告らは、被告らに対し、以下のとおり支払いを求める。

(1) 被告東京海上に対し、原告春子は二五〇〇万円、原告甲野夏子、同乙田一郎及び同乙田二郎は各八三三万円の保険金とこれらに対する原告らが保険金請求の手続きをとった後の日である昭和六一年九月一日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金

(2) 被告住友海上に対し、原告春子は三七五〇万円、原告甲野夏子、同乙田一郎及び同乙田二郎は各一二五〇万円の保険金とこれらに対する原告らが保険金請求の手続きをとった後の日である昭和六〇年九月一日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金

2  請求原因に対する被告らの認否

第(一)項(1)、(2)及び(3)前段の事実は認め、(3)後段の主張は争い、第(二)項の事実は認め(但し、事故発生時を除く。)、第(三)項(1)前段の事実は知らない、後段の主張は争う、同(2)の事実は否認する。

3  被告らの抗弁

(一)  保険事故の発生経過

(1) 太郎は、昭和六〇年七月ころ、自己の経営する事業の不振・失敗から、数億にのぼる多額の借財を負うこととなり、これを返済するために種々の手段を講じたが、すべて失敗に帰し、万策尽き果てた状態となったため、遂に多額の借財を一挙に清算する方法として、生命保険会社及び損害保険会社数社との間で、多額の保険契約を締結したうえ、保険金の取得を目的として他人に自己を殺してもらう嘱託殺人を計画した。

太郎は、日本国内ではこの嘱託殺人の依頼を受ける人物が見つからず、伝手を頼って結局フィリピン国に向かうことにした。フィリピン国マニラ市は、治安が非常に悪いばかりか、一〇万円単位の金銭により殺人を請け負う、いわゆる「殺し屋」が実在するといわれているところである。

(2) これとは別に、太郎は、昭和六〇年七月一日午前三時四〇分ころ、同人が代表取締役をしていた株式会社○○○の所有する札幌市内の飲食店「△△△」の店舗内で発生した灯油の散布による放火事件について、保険金目当ての放火事件の重要な容疑者とみられ、捜査を受けていた。

(3) 太郎は、別紙一覧表記載の通り、被告らをはじめとする損害保険会社、生命保険会社五社との間で、被保険者を太郎とする保険契約を締結していた。

太郎は、昭和六〇年七月二一日、フィリピン国マニラ市へ赴くに先立ち、マニラ行が自己を殺害してもらって保険金を得るための、いわゆる保険金殺人(嘱託殺人)のための死への旅立ちのためであったことから、別紙一覧表記載のとおり、さらに巨額の保険金の保険契約を締結し、死亡時の保険金総額を七億三六五四万七〇〇〇円という巨額なものにしたうえ、そのうちの複数の保険契約についてはその出発の二日前に突然保険金受取人を同人から同人の妻である原告春子及び同人の子供であるその余の原告らに変更した。

(4) 太郎は、それと同時に、遺書らしきものを用意し、自己がそれまでに使用していた机をきちんと整理し、その準備をととのえた。

(5) 太郎は、昭和六〇年七月二一日、日本国を出国し、フィリピン国マニラ市に赴き、後からフィリピン国に入国した自己の部下のAと合流し、同人とともにマニラ市内のセンチュリーパークシェラトンホテルに投宿し、同ホテルにおいて、Aとの間で、嘱託殺人に及ぶ一連の件について最終的合意をみた。

右合意が成立したことから、A及び太郎は、知人の紹介で、Bに嘱託殺人を依頼することとなった。

(6) Aは、同月二三日午後一時ころ、同ホテルでBと会い、「ある人間を殺って欲しい(殺してほしい)。その人間は自分で死にたいと言っているのだ。自殺なのだ。謝礼は一五〇〇万円だ。」と嘱託殺人の件を切り出した。Bは、この殺人依頼の話はフィリピンではよくある話で、さほど突飛な話ではないものの、Aと話をしているうち、同人が「ハンチク」な人間であることから、この殺人依頼の件が発覚したとき、すぐ人にべらべらとしゃべりまずいことになると思ったことから、その場でその殺人依頼の話を断った。

Aは、翌二四日、再度、Bに架電し、もう一度繰り返し嘱託殺人の件を依頼し、BはAから再度の嘱託殺人の依頼を受けたことから、これを引き受けることを決意した。

(7) Bは、Cに架電し「仕事があるけどやるか。殺しの仕事だ。」と告げた。

ところで、Cは、当時、マニラ市内において、カラオケパブ「ワン・オー・ワン」を経営していたが、マニラ市では遅れて参入したいわば新興勢力であったことから、警察・フィリピン国軍とのコネクションをてこに自己の安全を図る必要があったため、それらとの癒着を深め、いわゆる用心棒として、フィリピン秘密警察官等であったネストー、アーニーの両名を雇っていた。この電話を受けたCは、たまたま電話口の側にいたネストー及びアーニーに「殺しをやるか。」と尋ねたところ、同人らから、「あなた(Cのこと)次第です。但し、お金次第です。」との回答を受けた。

そこで、Cは、この「殺し」の仕事を請け負うことにし、その旨Bに返事をし、その場からBのいる同人の店に向かった。BとCは、Bの店で落ち合った後、Aと太郎が投宿しているシェラトンホテルに向かい、その自動車の中で、Bが「(これは)殺しだけど自殺のようなものだよ。」といったので、Cが「じゃ、自分でやればいいじゃないか。」と答え、さらにBが「シェラトンホテルの甲野さんの部屋に入ったら、誰とも口をきくな。おまえはそのままだったらフィリピン人に見えるんだから。なるべく離れて座って、フィリピン人のような格好をして座っていろ。」などと注意をした。

(8) 太郎は、同日、シェラトンホテルに来たBとCに対し、「私を殺してほしい。私は会社をつぶしたが多額の借金がある。そこで、私は、自分にも多額の保険を掛けてきた。私がフィリピンで殺されれば、フィリピンでは強盗など日常茶飯事であるからすんなり保険金がおりる。報酬は一五〇〇万円、但し後払い。」といって嘱託殺人の依頼をした。Cは、太郎から嘱託殺人の依頼について、前記のとおり、自分が雇っているいわゆる殺し屋のネストー及びアーニーから、その殺人実行の了解を取り付けていたことからこれを請け負った。

(9) 嘱託殺人を請け負ったCは、同月二四日午後八時ころ、Aに架電し、同人を通して太郎を午後一二時にマニラ市内のロハス大通りの二四時間営業の飲食店「シェーキーズ」に呼び出し、待ち合わせることとした。

Cは、太郎がその約束の時間を五分から一〇分間くらい経過した、午後一二時五分ないし一〇分ころやってきたので、あらかじめ帯同していた殺し屋のネストー及びアーニーに、殺しの対象をその場にいる太郎だと指示し、同人らと太郎とを引き合わせ、その場から立ち去った。

(10) 殺し屋のネストー及びアーニーは、太郎の指示通り、同月二四日深夜から同月二五日未明にかけて、フィリピン国マニラ市内バスケス通りにおいて、ネストーがピストルにより至近距離からその弾を二発発射し、太郎を死に至らしめた。

(二)  危険の著増による保険契約の失効

保険契約とは、保険者が契約者から所定の保険料の支払いを受け、被保険者の一定範囲の危険を明示したうえ、その守備範囲の危険を引き受け、被保険者の急激かつ偶然な外来事故による損害に関し保険金を払うものである。したがって、保険契約者及び被保険者は、保険契約を締結した場合、自らの意思で積極的に自己の生命・身体等に危険や危惧を増加せしめたり、または、招致するような背徳的行為をしてはならない善管注意義務を負担しているというべきである。商法六五六条の法意は、被保険者が右の義務に違反した場合、保険契約は当然失効するとして保険者を保護し、保険業務の適正運営を維持することを目的としたものである。

ところで、嘱託殺人とは、自己の殺害を第三者に委託し、その結果自ら死を招致するもので、その動機・原因がいかなるものであれ、人間社会において容認されない異常な出来事である。したがって、保険契約が存在している場合、被保険者が自己の殺害を嘱託する行為は、それ自体被保険者の責めに帰すべき事由により、保険者が引き受けた危険の範囲を当然逸脱する背信的行為であり、また、客観的にみて著しく危険を増加せしめたこととなり、商法六五六条の要件を充足するので、当該保険契約は、その殺害嘱託の時点で失効すると解すべきである。まして、その嘱託に起因して、あるいは、起因したと推認できる状況のもとで被保険者が死亡したときは、なお当然のこととして当該保険契約の継続は法律的にありえないものというべきである。

太郎は、前記のとおり、治安のきわめて悪いフィリピン国マニラに赴き、敢えて殺人請負集団と接触し、同人らに自己の殺害を有償で依頼し、その結果、その直後に死亡しているのであるから、本件保険契約は当然失効しているものということができる。

(三)  告知義務違反による保険契約の解除(被告住友海上のみの抗弁)

被告住友海上が定めた海外旅行傷害保険普通保険約款には、「保険契約締結の当時、保険契約者、被保険者またはこれらの者の代理人が故意または重大な過失によって、保険契約申込書の記載事項について、当会社に知っている事実を告げずまたは不実のことを告げたときは、当会社は、書面により保険証券記載の保険契約者の住所に宛てて発する通知をもって、この保険契約を解除することができます。」と規定されている。

太郎は、被告住友海上との間で保険契約を締結する際、故意または重大な過失により、被告東京海上との間で既に海外旅行傷害保険契約を締結していることを被告住友海上に告知しなかった。そこで、被告住友海上は、原告らに対し、昭和六〇年八月三〇日付け内容証明郵便により、本件保険契約を解除する旨の意思表示をした。

(四)  被保険者の故意又は自殺による免責

被告東京海上、被告住友海上が定めた海外旅行傷害保険普通保険約款には、保険会社の免責事由として「〈1〉 保険契約者又は被保険者の故意、〈2〉 被保険者の自殺行為、犯罪行為又は闘争行為」による傷害が規定されている。

太郎のマニラ市内における死亡は、前記のとおり、嘱託殺人によるものであり、同人の故意による事故招致又は自殺である。

3  抗弁に対する原告らの認否並びに主張

(一)  全体として否認する。

(二)  保険事故の発生経過について

(1) 太郎は、茨城県出身で、高卒後航空自衛隊に入隊し、六年間勤務後除隊し、埼玉県内で運動具店、金融業、建築業、飲食業などを経営したが、思わしくなく、昭和五六年ころ、数億円の負債を残して倒産した。

その直後、太郎は、フランチャイズ方式の大衆酒場「×××」本部(東京)から北海道での店舗展開の権利を取得し、営業を始めたところ、これが当たって、約三年間に、札幌市内を含め北海道内で三〇店舗をつくり、道内の「×××」を経営する株式会社北海道料飲コンサルタンツの代表者として、営業を成功させたが、同会社の他の代表者と「×××」の経営方針をめぐってくいちがうようになり、昭和五九年四月六日、約一億円に相当する功労金をもらって代表取締役を辞任した。

太郎は、同年六月八日、二億円の借金をして、株式会社○○○を設立し、札幌市内で、大規模に居酒屋「△△△」の経営を始めたところ、開業間もないにもかかわらず、月額約一〇〇万円程度の利益をあげるに至った。右のような大規模の店を開業すれば、開業当初から約二億円の負債を負って出発するのは常識であるが、このうち、約四〇〇〇万円の累積赤字は太郎個人が拠出した約四〇〇〇万円の拠出金で解消できたし、原告春子が株式会社○○○のために約四〇〇〇万円を出資していた。

これとは別に、太郎は、かねてから、フィリピン国から特産物の食料品を輸入したいと考えて、前記株式会社○○○のほかに株式会社□□□等の会社を設立したりしていた。そして、太郎は、フィリピン国からの食品関係の輸入代理店を営む武井倉庫株式会社をとおして、同国の海老などを買い付けたい意向をもち、昭和六〇年二月二〇日から同月二三日にかけて、海老などの買付け業務の見学のために、同会社の役員とフィリピン国に出かけ、同年四月二日から同月六日にかけてはフィリピン国に一人で渡航した。

太郎は、同年七月二一日に、第一回目の渡航の際にフィリピン国で知り合った輸出入業、飲食業を営む知人に、柑橘類の市場調査を依頼することを目的として、遊興も兼ねて、一五年間のコック経験もある知人Aを同行してフィリピン国に赴くこととした。

このようにみると、太郎は、自己中心の図太い性格で、いわゆるやり手の実業家であって、自殺を装って取得した保険金で、債権者に弁済したり、原告ら遺族の生活資金にあてようとするような男ではなく、また、保険金目当ての嘱託殺人を依頼して清算しなければならないほどの多額の借財を負っていたわけではなかった。

被告らの主張するように、太郎が常識に反して他殺を装って、保険金を出させようとするならば、太郎は運転の上手なオーナードライバーであったから自動車事故を装って自殺するなど、自殺を装う手段はいくらでもあったはずであり、二回しか渡航したことがなく、英語もしゃべれないフィリピン国にわざわざ赴いて嘱託殺人を依頼したと考えることは到底できない。

(2) 被告らの主張する昭和六〇年七月一日午前三時四〇分ころ、居酒屋「△△△」の店舗内で発生した放火事件について、太郎は自宅にいてアイバイがある上、「△△△」に掛けた火災保険金額は「△△△」の資産規模からみて少なすぎるし、店内にはスプリンクラーも付いていることからみても、保険金を掛けた時期とその増額を理由に放火の被疑事件に太郎が関与したとするのは嘱託殺人と同様に被告らの牽強付会以外のなにものでもない。

(3) 太郎は、同人を被保険者とする保険契約を従前から締結しており、また、昭和六〇年七月二一日、フィリピン国マニラ市に赴くに先立ち締結したが、それは以下の事情からである。

(イ) 別紙一覧表〈3〉は、普通保険金五〇〇〇万円のみである。そして、太郎は、昭和六〇年三月二二日、Dに○○○食品株式会社の株式を譲渡した際、その保険契約の保険契約者、受取人を○○○食品株式会社から株式会社○○○に変更し、同年四月三〇日にその旨の変更届をしたものである。

(ロ) 同表〈8〉は、太郎がフィリピン国に渡航する際、海外旅行損害保険として掛けていたもので、海外旅行者の常識であり、他の海外旅行者と比べて常識はずれの金額ではない。

同表〈9〉は、本件事故の二年前から継続されていたJALカード会員に付随した特典で、そのJALカードが自動継続されていた結果取得した損害保険金請求権である。

(ハ) 同表〈3〉〈4〉〈7〉は、太郎の経営する会社を受取人とする経営者保険であるが、普通保険金としては、株式会社○○○が五〇〇〇万円、株式会社□□□が三〇〇〇万円、有限会社◇◇◇が一億円、合計一億八〇〇〇万円で、一社平均六〇〇〇万円であり、これに災害保険金を加えても合計二億六〇〇〇万円で、一社平均八六〇〇万円にすぎない。いずれの経営者保険も、二億円以上の資金を投資して事業をしている経営者の経営者保険としては少なすぎる金額である。

(ニ) 同表〈7〉は、有限会社◇◇◇が昭和六〇年七月一六日に一億五〇〇〇万円の経営者保険を申し込んでいるが、受取人は同会社である。同会社は、太郎が昭和六〇年二月に原告春子と同人の父甲野月男から資本金二〇〇万円の出資をしてもらって、前記○○○食品株式会社に代わるものとして設立しようとしていたが、右出資金を使い込んだために設立が遅れ、同月一九日に設立にこぎつけた。〈7〉の保険は、本来なら、同年二月末か三月末ころまでに掛けていたはずのものである。

(ホ) このようにみると、太郎を被保険者とする生命保険金額は、普通保険金三億九一五四万七〇〇〇円、災害保険金一億七〇〇〇万円、合計五億六一五四万七〇〇〇円にすぎないものである。そして、太郎が本件事故にあったフィリピン国への渡航直前に掛けたものは、同表〈4〉の六〇〇〇万円のみである。したがって、太郎の保険金額は他の事業経営者に比べて著しく少額であり、死亡する直前に変更又は掛けられたものは総額の一割にすぎないものである。

また、同表〈5〉は、昭和六〇年八月二日、同表〈7〉は、同月一日を経過すれば、自殺でも保険金を取得できたものであり、太郎がそれを知らないはずはない。

このようにみると、本件事故が保険金目当ての嘱託殺人によるものでないことは明らかである。

(4) 太郎は、昭和六〇年七月二一日、フィリピン国マニラ市に赴くに際し、妻である原告春子に自殺の兆候らしい様子をみせておらず、遺書もない。

また、太郎が本気で嘱託殺人を依頼することを計画してフィリピンに渡航したとすれば、そのための準備をしていくものと考えるのでなければ不自然である。しかし、太郎は、嘱託殺人を依頼するために現金を用意した形跡がなく、また、相手方を信用させるために保険証券を携帯した事実もなく、さらに保険金が殺人受託者に支払われる手筈がととのえられてもいなかった。

(5) 太郎は、昭和六一年七月二一日、日本国を出国し、フィリピン国マニラ市に赴き、前記Aと合流し、同人とともにマニラ市内のセンチュリーパークシェラトンホテルに投宿した。

(6) その後、太郎に近い第三の人物は、知人の紹介でBに「本人も死にたいと言っているので殺してくれ。」と太郎の「殺し」の仕事を依頼し、Bはこれを承諾した。

(7) 殺人を依頼されたBは、同月二四日、さらにCに対し、太郎の殺人を依頼し、殺人の標的である太郎の顔を覚えさせるために引き合わせる際には、顔や名前を知られないためにフィリピン人のように装うように指示した。

(8) BとCは、同月二四日、太郎の投宿していたシェラントンホテルに赴き、Cは遠くから太郎を眺めていたか、あるいは、たまたま太郎と面識があったために事態をごまかすためにその場で太郎と世間話をしたかである。

(9) Bは、同月二四日午後八時ころ、太郎「殺し」を依頼した第三の人物に、「殺し」の担当者としてCを紹介し、第三の人物はCとの間で、太郎の殺人について、具体的な時間、場所、その他の段取りを打ち合わせた。

Cは、これより先、B、第三の人物に対し、殺人の報酬として、五〇〇万円を要求していたが、同人らから二〇〇〇ドルから五〇〇〇ドルという返事であったので、従前の要求を繰り返したところ、「金は揃った。本人(太郎)に理由をつけて持たせるからやって(殺して)くれ。」との返事を受けた。

この間、太郎は、同月二四日午後七時三〇分ころ、シェラトンホテルを出てディスコクラブに行き、そこで遊んでからダンヒルクラブで遊び、その後その近くのセブンスタークラブでパートナーの女性をみつけ、女性ともども午後一一時ころシェラトンホテルに帰り、さらに、同ホテル内のトップオブザセンチュリーに行き、二〇分後、同ホテル内のセラーディスコに行った。太郎は、翌二五日午前〇時三〇分ころここを出て同ホテルの自室に戻って間もなく、パートナーの女性がシャワーを浴びていたときに、「一寸失礼するが五分くらいで戻ってくる。」と言って出かけていった。このように、同ホテルの部屋を出る直前までの太郎の行動には、これから殺されに行く人間の取る気配は全くなく、また、嘱託殺人の報酬五〇〇万円を帯備した様子もなかった。

Cは、太郎を呼び出し、あるいは、ら致して所持金を聞き出したところ、案に相違して五〇〇万円を所持していなかった。

(10) 太郎は、自己に危害が及ぶとは夢にも思わずにシェラトンホテルを出て誰かに会って、そのままら致されて、同月二五日午前六時二〇分ころ、同市マラチ地区ドクターバスケス通り路上で、第三の人物から依頼を受けた殺し屋か、又は別の何者かによって、こめかみに銃撃され、死亡した。

(三)  危険の著増による保険契約の失効について

商法六五六条は、その延長線上に商法六四一条があり、同条を適用しがたい事件について保険者免責を導くための、いわば切り札的な機能を有し、それゆえに、保険者が安易にこれを悪用し専ら保険者の責任回避の手段とする危険な側面ももっている。したがって、商法六五六条は、厳格にこれを解釈すべきであり、しからざるときは、いたずらに、保険者によって濫用されるおそれの十分あるものである。特に、いわゆる危険の著増と保険事故との間に因果関係を要しない点において、右濫用のおそれは一層大となる。

ところで、一口に危険の著増といっても、危険の発生からそこに至るまでには、限りなく幅がある。危険がどの程度に達すれば、危険の著増となるかは、商法六五六条の解釈の問題であり、それは前記のごとく厳格にされなければならない。危険の著増は、少なくとも、増加した危険が確定的即ち客観的に判断して原状回復の可能性がない状態であることを要する。危険が発生し、一旦は著増したかのようにみえても、原状回復する可能性があると客観的に判断される間は、危険の著増ではない。そうでなければ、保険者が引き受けたリスクに影響を与える可能性も不確定な事実をもって、一方的に保険者免責を許す結果となり、保険契約者・被保険者の利益を著しく無視した結果となるからである。このように、危険の著増を原状回復の客観的可能性を基準として判断することによって、はじめて、保険者免責についての保険者の引受リスクの増加の有無を、抽象的ではなく、具体的に理解できることとなり、当事者の信義公平の原則にも一致する。ちなみに、原状回復の客観的可能性のある危険の増加は、せいぜい、例えば、海外旅行傷害保険普通保険約款一六条二項の解除の「相当の理由」等において、その該当の有無が問題となるにすぎない。

本件において、太郎の死亡が嘱託殺人でなく、同人が依頼したものでもないものであることは前記のとおりである。仮に太郎が何者かに対し殺人の嘱託をしたことがあったとしても、単に嘱託の申込みをした段階にとどまり、申込みを受けた相手方がこれを承諾し、少なくとも嘱託が確定的に成立したと認められない限り、商法六五六条の危険の著増に該当しないというべきである。太郎が嘱託の申込みをしたとしても、相手方がこれを承諾しない間は嘱託は成立していないのであり、相手方がこれを拒否すれば嘱託は不調のまま終了することになる。すなわち、相手方が承諾しない限り嘱託の成立は不確定で、結局、嘱託が不調のまま終了し嘱託殺人の危険の全くない状態に復帰(原状回復)する客観的可能性があるのである。嘱託の申込みだけでは、同上の危険の著増に該当しない。

二  当事者の提出、援用した証拠〈省略〉

理由

一  原告ら主張の以下の請求原因事実は、当事者間に争いがない。

1  保険契約の締結

(一)  日本航空株式会社及びJALカード株式会社は、昭和五九年一一月一日、被告東京海上との間で、JALカード会員のためにする以下の内容の海外旅行傷害保険契約を締結した。

(1) 被保険者 JALカード会員

(2) 死亡保険金額 五〇〇〇万円

(3) 保険事故 被保険者が海外旅行目的をもって住居を出発してから帰着するまでの旅行行程中に急激かつ外来の事故によって身体に被った傷害

(二)  太郎は、昭和六〇年七月一八日、被告住友海上との間で、以下の内容の海外旅行傷害保険契約を締結した。

(1) 被保険者 太郎

(2) 死亡保険金額 七五〇〇万円

(3) 保険事故 被保険者が海外旅行目的をもって住居を出発してから帰着するまでの旅行行程中に急激かつ外来の事故によって身体に被った傷害

(三)  被告東京海上及び被告住友海上は、海外旅行傷害保険普通保険約款を定めており、各約款においては、死亡保険金の受取人につき、死亡保険金受取人の指定のないときは、被保険者の法定相続人とする旨の定めがある。

2  保険事故の発生

太郎は、昭和六〇年一〇月二一日までJALカード会員資格を有していたところ、同年七月二一日日本国を出国し、同日からフィリピン国マニラ市に滞在中、同月二五日、同市マラチ地区ドクターバスケス通り路上で、銃撃されて死亡した。

二  そこで、被告ら主張の抗弁について検討する。

1  保険事故の発生経過

(一)  〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(1) 太郎は、昭和二一年生まれで、高校卒業後、航空自衛隊で六年間勤務した後、埼玉県内で運動具店、金融業、建築業、飲食業などを経営したが、いずれも思わしくなく、昭和五六年ころには、数億円の負債を残して倒産した。その後、太郎は、北海道に渡り、昭和五六年九月、飲食店経営を目的とした株式会社北海道料飲コンサルタンツを設立し、フランチャイズ方式の大衆酒場「×××」の北海道内の店舗を経営したが、昭和五九年四月ころ、同経営から手を引いた。

太郎は、昭和五九年六月八日、同様に飲食店の経営等を目的とした株式会社○○○を設立し、融資を受けた二億円の資金で、札幌市及び旭川市をはじめ北海道内で、大規模に居酒屋「△△△」の経営を始めたが、昭和六〇年ころになると、経営不振から、各種金融業者に対する多額の負債をかかえ、債権者からの厳しい取立てに追われるなど、その返済に苦慮するまでに陥った。

これとは別に、太郎は、フィリピン国から特産物の食品を輸入して利益をあげることを計画し、昭和五六年七月、食品の販売等を目的とした株式会社□□□を設立し、昭和六〇年二月二〇日から同月二三日、同年四月二日から同月六日の二回にわたりフィリピン国に赴いたりもしていた。

(2) 太郎は、別紙一覧表記載のとおり、昭和五八年三月ころから、太郎を被保険者とする生命保険契約を締結していたが、昭和六〇年七月二一日に日本国を出国し、フィリピン国マニラ市に赴くに先立ち、同表記載のとおりさらに多額の保険契約を締結し、死亡時の保険金総額を七億三六五四万七〇〇〇円という巨額なものにした。

(3) 太郎は、昭和六一年七月二一日、日本国を出国し、フィリピン国マニラ市に赴き、後からフィリピン国に入国した前記株式会社□□□の取締役副社長で自己の仕事上の部下であるAと合流し、同人とともにマニラ市内のセンチュリーパークシェラトンホテルに投宿した。

(二)  被告らは、太郎とAがフィリピン国マニラ市に赴き、Bを通じてCに嘱託殺人を依頼し、本件事故を招いたものであると主張する。

(1) 〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(イ) フィリピン国マニラ市は、治安が悪いばかりか、一〇万円単位の金銭により殺人を請け負う、いわゆる「殺し屋」が実在するといわれているところである。

(ロ) Aは、三七歳で、セールスマン等転職を重ね、この間コックとしての経験をもちホテル内の食堂等で働いていたこともあったが、昭和五九年一〇月ころ知人の紹介で太郎を知り、太郎の仕事上の部下として太郎の仕事を手伝い、昭和六〇年七月に太郎の経営していた株式会社□□□の取締役副社長に就任した。

(ハ) Bは、五一歳で、暴力団元組員で、フィリピン国マニラ市内に滞在してから一五年になり、同市に居を構えた最初の日本国の暴力団の一人であり、現在では同市内の高級クラブ「セブンスター」の経営に関与し、同市の顔役的存在を自認する人物である。

二  Cは、四〇歳で、Bのいわゆる弟分に当たり、本件事故当時、マニラ市内において、カラオケパブ「ワン・オー・ワン」を経営していたが、マニラ市では遅れて参入した、いわば新興勢力であったことなどもあって、自己の安全を図る必要があったため、いわゆる用心棒としてもとフィリピン警察官等であったネストー、アーニーの両名を雇っていた。

(2) 証人Cの証言の要旨は、およそ以下のとおりである。

Cは、昭和六〇年七月二四日、Bから電話があり、「仕事があるんだけれどもやるか。」「殺しの仕事だ。」と告げられた。Cは、たまたま電話口の側にいたネストーに、殺しを「やるか。」と尋ねたところ、同人から「あなた(C)次第です。お金次第。」との答えを受けた。

そこで、Cは、Bのいる店に向かい、そこで落ち合った後、自動車で、太郎とAの投宿しているシェラトンホテルに向かったが、車中で、Bから、「(これは)殺しだけど、自殺のようなものだよ。」と教えられ、さらに「シェラトンホテルの甲野さんの部屋に入ったら、誰とも口をきくな。おまえはそのままだったらフィリピン人に見えるんだから。なるべく離れて座って、フィリピン人のような格好をして座っていろ。」などと指示を受けた。

Cは、シェラトンホテルに到着後、Bと一緒に、太郎とAのいる部屋に入り、一人で離れたベッドのところに座っていたが、殺しの仕事の対象が太郎であると理解できた。Cは、太郎と二人きりにしてもらって太郎と話をしたところ、太郎から、「なるべく痛くない方法で、そして死体がすぐ見つかる場所で殺して欲しい。」と依頼され、「報酬として二〇〇〇ドルないし五〇〇〇ドルを出す。」といわれたので、「最低五〇〇万円はもらわなければやらない。もし、殺して欲しいんなら明日までに五〇〇万円を用意しろ。」といった。

Cは、部屋の外に出たあと、Bに、こんな仕事は嫌だと言う趣旨の話をした。

Cは、同月二四日午後八時ころ、太郎に電話したところ、Aと思われる人物から、太郎を午後一二時にマニラ市内のロハス大通りの二四時間営業の飲食店「シェーキーズ」に行かせるので、そこで待ち合わせるようにとのことであった。

Cは、太郎がその約束の時間を五分から一〇分間くらい経過した午後一二時五分ないし一〇分ころやってきたが、同人が二〇〇〇ないし三〇〇〇ペソしか所持していなかったこと、シェラトンホテル専属のタクシー運転手や周囲の者にみられていたことなどから、太郎に向かって、「殺しの仕事は今日はできない。」といって、同行していたネストー、アーニーに太郎殺しを中止して、同人をシェラトンホテルの近くまで送るように指示して、その場から立ち去った。

Cは、その日は、ネストー、アーニーに太郎の殺人をやらせていないし、同人らが太郎を銃撃したかどうかについては証言したくないといってこれを拒否した。

(3) 〈証拠〉におけるBの供述要旨は、およそ以下のとおりである。

Bは、太郎が殺害された日の数日前、シェラトンホテルで、知人の紹介でAと会い、同人から「誰か人を殺せる男を探している。君が誰かを知っていたら是非紹介してくれ。謝礼は、一五〇〇万円で後払いだ。」と頼まれたが、同人を信用できないし、報酬が後払いということで断った。

Bは、太郎が殺害された日の前日、再度、Aから電話で呼び出され、同人と会い、その際、同席していた太郎から「私を殺して欲しい。私は、会社をつぶし多額の借金がある。そこで、私は、自分にも多額の保険を掛けてきた。私がフィリピンで殺されれば、フィリピンでは強盗など日常茶飯事であるからすんなり保険金がおりる。」ということで、嘱託殺人の依頼を受け、一旦は断ろうとしたが、太郎がなかなかの人物のように思えて、誰かにあたってみると返事し、Cのところに行き太郎の話をしてみたものの、自らは断った。

(4) 〈証拠〉、当法廷における証人Aの証言要旨は、およそ以下のとおりである。

Aは、〈証拠〉においては、昭和六〇年七月二二日、フィリピン国より缶詰食品、缶ジュースなどを輸入する仕事を始めるに先立ち、太郎から一日遅れて、フィリピン国マニラ市に赴き、シェラトンホテルに投宿し、太郎の紹介でその方面の仕事に明るいE、同人が同行したフィリピン人と商談をしてすごし、同月二五日午前一時ころ太郎と会ったのが最後で、同日午前七時すぎころ、太郎が銃撃されて死亡したことを知り驚いたと供述している。

Aは、〈証拠〉では、昭和六〇年七月二二日マニラ市内のシェラトンホテルに投宿したあと同月二四日までの間に、同ホテルの部屋で、太郎とともに、Bと会って、太郎から同人に対し、報酬として二〇〇〇ドルを前払いし、死亡後二ないし三か月後一五〇〇万円を支払うとの条件で嘱託殺人を依頼するという趣旨の話をもちかけたところ、同人から断られたが、さらに、嘱託殺人の話を聞きつけてやってきた別の日本人に対し、Aに席をはずさせたうえで太郎から嘱託殺人を依頼し、承諾してもらったということを、太郎から聞いたと供述している。

ところが、Aは、当法廷においては、前記経歴から、柑橘類の食品関係についての知識をもっていたこと等もあって、フィリピン国におけるこれらの市場調査を依頼する目的で、昭和六〇年七月二二日、太郎より一日遅れてフィリピン国マニラ市に赴き、シェラトンホテルに投宿し、同日知人のEの紹介で、ウィリー・カスティーリョと会って商談をしたり、翌二三日、仕事を離れて太郎とともにBに会ったりしたが、二四日午後一一時過ぎころ、太郎をみかけたのが最後であったと証言し、〈証拠〉での供述を金欲しさの作り話であると述べるなど、嘱託殺人を否定する証言をしている。

(5) 以上によると、Cの証言は、〈証拠〉におけるBの供述、〈証拠〉におけるAの供述部分とくいちがう部分もあるが、知人の紹介で会った太郎からB、Cに対し、直接、嘱託殺人の依頼があったとする点では一致している。そして、Cは、前記ネストーとアーニーに嘱託殺人の実行を促したが、結局これを思いとどまらせたというが、この点はあいまいであり、さらに誰が太郎を銃撃したかについては証言をしたくないとして、含みのある証言をするにとどまっている。

ところで、〈証拠〉におけるBの供述は、右嘱託殺人の点でほぼ一貫しており、信用できるものと認められ、その意味では、これと一致するCの証言も信用できるものということができる。

Aの当法廷における証言は、〈証拠〉における太郎からB、Cに嘱託殺人を依頼したことをうかがわせる供述部分を全面的に否定しているが、〈証拠〉の右供述部分はきわめて詳細かつ具体的であって、前掲Cの証言、〈証拠〉におけるBの供述と一致がみられ、嘱託殺人という大筋で一致するほか、C証言とは、Cと太郎が対面して交渉した際、Aは席をはずした点、Bの供述とは、B自身が提示を受けた報酬一五〇〇万円は後払いであるとの点などその場に臨んだ者でないと供述しがたいと思われる点について一致している。したがって、この点に関するAの証言は信用できないものというほかはない。〈証拠〉におけるAの供述は、本件事件の核心に触れる部分を意識的に避けており、同様に信用しがたいものというほかはない。

(三) 以上の事実を総合すると、太郎は昭和六〇年七月当時、事業不振から多額の負債をかかえ、債権者らからの厳しい取立てに追われ、その返済に苦慮していたところ、自己を被保険者とする保険金額七億三六五四万七〇〇〇円という多額の保険に加入しているという状態で、同月二一日、治安が悪く、殺人を請け負う殺し屋がいるといわれているフィリピン国マニラ市に赴き、同日から同月二四日にかけて、殺し屋等とも接触のあるとみられているB、Cらに会って、保険金目当ての嘱託殺人を依頼したものということができる。そして、太郎は、同月二五日午前六時三〇分ころまでに、マニラ市コラチ地区ドクターバスケス通り路上で銃撃されて死亡したが、B、Cらが右嘱託殺人の依頼を承諾したといえるかどうかは必ずしも明らかではなく、また、右銃撃が、B、Cから指示を受けた殺し屋によって行われたものかどうかは、結局のところ不明ということになる。

2 危険の著増による保険契約の失効

商法六五六条は、保険契約の成立後、保険期間中に契約締結当時に画定されていた危険が増加したことについて、保険契約者又は被保険者に帰責事由のあるときは、保険契約が自動的に失効するものと定めているものである。したがって、同条は、保険契約者及び被保険者に対し、積極的に危険を増加させる行為をしないことを義務づけることになるということができる。そして、ここにいう危険の著増とは、著増した危険が契約締結当時に存在したならば、保険者が保険を引き受けなかったか、又はより高額の保険料をとらない限り保険を引き受けなかったと思われるほどの大幅な危険の増加が契約締結後出現するものと解することができる。

これを本件についてみると、太郎が、保険契約に基づき保険金を取得する目的で、治安の悪いマニラ市に赴き、殺し屋等とも接触のあるB、Cらに嘱託殺人を依頼し、その後間もなく、同市内で銃撃されて死亡したというものであるから、同人らが右依頼を承諾したかどうかが必ずしも明らかでなくても、太郎が右依頼を断念したとは認められない状況において銃撃されて死亡した以上、右依頼をした時点において、被保険者自ら事故発生の可能性のきわめて高い状況に身を置いたものということができる。本件保険契約締結時において、仮に被保険者である太郎からB、Cらに嘱託殺人を依頼している事実が存在し、それが判明していたならば、被告らを含む保険者が保険の引受けを拒絶したであろうことは明らかであるから、太郎の右嘱託殺人の依頼は被保険者の責に帰すべき事由により著しく危険が増加したものと認めるのが相当であり、商法六五六条により保険契約は自動的に失効したものと解するのが相当である。

三  以上の理由により、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福永政彦 裁判官 山田和則 裁判官 冨田一彦)

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